Chapter11「バグワンダス」
デリーに戻ってきた。
今ごろ運転手は大慌てしているだろう。
バスの中で僕らは明日ボスの事務所に行ってお金を払い戻す交渉をすることを決意した。もしだめだったらもう一度洋子さんに電話して事情を話し、協力してもらおう。
この日泊まったのはメイン・バザールにあるアジャイゲストハウスだ。
「メイン・バザール」というのはコンノートプレイスから北へ800mほど歩いたニュー・デリー駅程近くにある通りの名前だ。
【注】メインバザールの様子
ここには有名な安宿街があり、世界中から少しでも安い宿を求めてバックパッカーが集まってくる。
ちなみに「ニュー・デリー」という名称は、イギリス支配下だった1911年にカルカッタからデリーへ首都が移されてから開発された地域を呼ぶ。
コンノート・プレイスを中心にデリーの道路が放射状に伸びているのは、イギリスの影響だろう。
ニュー・デリーに対し、ムガル帝国第五代皇帝のシャー・ジャハーンが1638年のデリー遷都後、築いた城下町がオールド・デリーだ。シャー・ジャハーンは、タージマハルを建設したことでも有名だ。
僕らの泊まっているメイン・バザールのある地域はそのオールド・デリーにあたる。
アジャイの値段は1部屋200ルピー。1ルピーは2.5円(2002年2月時点)くらいなので約500円、 ひとり250円で泊まれるのだ。
1階にはレストランがあり、日本人もちらほらと泊まっているので中々居心地がいい。
チェックインを済ますと、田中君は日本の実家に電話し、騙されたことと、もしかしたらお金が足りなくなって送金してもらうことになるかもしれない、と伝えたようだ。僕は田中君に僕の実家にも田中君のご両親から電話してもらえるよう頼んだ。
僕が実家に電話しなかったのは単に国際電話が高いからという理由だけだが、そのことが後で大変なことになるとはその時は思いもしなかった。
朝起きてとりあえずコンノート・プレイスNブロックにある本物のDTDC(政府観光局)を探すことにした。
「あった!!」
本物はコンノートを構成している三本のサークルのうち、真ん中のサークルにあたるメイン通り沿いに建っていた。あのボスの事務所はここから歩いて10秒もかからない。
「・・・しかし、なんでこんなすぐ側に偽物の政府観光局があるのに警察は取り締まらないんだ?」
インドは一体どうなっているんだ。
その本物の政府観光局は日曜なので閉まっていたが、僕らは相談したいことがある、と言って中に入れてもらった。
「う〜ん、それは難しいな」
僕は事情を話し、お金を取り戻せるかと聞いたが、やはりレシートをもらってないので、お金は返ってこないだろうという答えだった。
もしお金が戻ってこないのなら、残りのお金であと3週間旅していくのは難しい。僕らは初日に泊まったYWCAの近くにあった東京三菱銀行に行って日本からの送金の仕方を教えてもらうことにした。
歩き始めるとすぐ、また客引きに絡まれた。
政府系のオフィスに行こうと言ってくるので、今まさにその政府系のオフィスでなくしたお金で困っている僕らは当然シカトした。
僕らがバグワンダスと出会ったのはその時であった。
「そいつは嘘をついているから気をつけろ」
リキシャマンはまずボロボロの服装と埃まみれの顔をしているものだが、バグワンダスは黒いズボンとパリッとした青いYシャツを着こなしていてとても清潔だった。
人を顔で判断するべきではないが、バグワンダスは目の澄んだ誠実そうな顔つきをしていて、その点でも他のリキシャマンとは違っていた。
嘘つき呼ばわりされた客引きは、「嘘をついているのはこいつだ!」とリキシャーに跨っているバグワンダスを激しく罵倒し始めた。
バグワンダスは困ったようなあきれたような表情をしてその客引きの言うことを聞いていたが、僕らはこんなことにかまっていられない。
揉めている二人をあとにして行こうとしたが、ちょうど東京三菱に行くためにリキシャーを探していたことを思い出し、引き返してその身なりのいいリキシャマンに乗せていってもらうことにしたのが、複雑怪奇なインドワールドへの入り口となろうとは、その時は思いもよるわけがなかった・・・。
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